偶然の恵比寿

恵比寿の弁護士 藥師神 豪祐のブログ

ヒント

思えば、常に周囲の様々な人からヒントをもらってきた。そのヒントたちによりなんとか生かされてきた。運よく。

自分がヒントを出す役割を担う瞬間が、少しでも増えるといいと、最近とても思う。例えばこれからの生き方だなんて長々と書いたけれど、それは要するに、ヒントを交換し合ってみんなで自分の身の回りを改善しようというコンセプト(卒業生たちに、会いたいなぁ)。

そこではだれも手柄やお金を欲しがらない。そうかこれは自分好みのコンセプトだったのか。と最近ふと気が付いた。

家族や友人が徹底して与えてくれているヒントがある。「優しさ」(ユーモアなんかもこれに含まれる)こそが、最も得がたくて価値があるということ。そして優しさを手にし続けるためには、善人たろうと無理する必要はないということ。自分の根底にあるものを変える必要なんてないということ。歪なポジションを取る必要もないということ。必要なのはただただ知性(好奇心なんかもこれに含まれる)であるということ。それは能力というより、生きる態度に関わるものであるということ。命に対する態度であるということ。

チャットモンチーが、足を引っぱらずに手を引っぱってと歌っていた。少しでも開かれた安らかな場所にいきたい。これが吉良吉影の心境だとしても。

Lounge Act

POLTAのライヴがとてもよかった。生と死の間にある10年間について考えさせられた。

高校の卒アルに「死なないために食べる食事なら要らない」と書いたことを先日ふと思い出しました。命はとても短いから。「意味がない」と感じる場があると、いまだにそこを静かに堂々と離れます。とにかく楽しみたい。成長したい。世界を更新したい。それだけ。

これからの働き方

専門学校の教え子の方たちのことをふと思い出しました。自分の役割はとても小さかっただろうけれど、うまく人生を歩んでほしいなあと思いつつ、この3月で社会に出ると思われる彼らのことを考えていました。そして隙あらば自分語りおじさん。

 

ゆるやかな連帯

「ゆるやかな連帯」というのがキーワードになる。と、昨今のあの人やその人は言ったし私も言いました。各自が自分の専門領域を持って、ゆるい連帯の中で暮らしていく。学校というコミュニティもきっとそうだったと思います。各自になんとなくの役割があって、どうやったら生活が楽しくなるか、快適になるかを試行錯誤したはずです。

社会に出ても同様です。「ゆるやかな連帯」の中でこれからも生きてきます。

「ゆるやかな連帯」の中で、①単に情報交換をするだけでも効果は抜群です。巨人の肩に乗ることで人類は進歩してきました(ピンと来ない方は「車輪の再発明」でググってください)。もう少し踏み込んで、②集まり合ってチームを組成して、スキルを分け合いながらそれぞれのやるべきことをやっていく。となればそれはもう。

生きるに当たってルールはないので、困ったら誰かを頼って、チームとして動けばいいんですよ。これはもう本当に。まったく別の仕事をしていても。遠くにいても。定期的に相談したり情報交換すればそれはチームです。

ただのお題目ではなく、ガチで「所有」から「シェア」へと世界は更新されています。モノ(UberAirbnb)だけでなく、ヒトの時間もシェアされ続けています(というか、学校も仕事も飲み会も、何もかもが限られた命から捻出する「時間」のシェアです。)。楽に快適に生きるために、限られたリソースの中、「何をどう使うか」「自分を社会のどこに置くか」の意思決定のうまさが求められる世の中になります。

そしてこの傾向は加速します。世界はこの先、人工知能が、「正解のある業務(雑務)」を次々に引き受けてくれるかもしれません。そうでなくとも、人を雇えば「雑務」は消えます。手持ちのリソースは限られています。なにをすればいいか分からないときは、まずは雑務を消すことから始めるとよいと思います。消していって、それでも残ったものが自分のやるべきことです。

 

他者と生きる(生きざるをえない)、せっかくなら楽しくゆるく、できるだけ楽をして

人工知能を待たずとも、人を雇えば「雑務」「自分自身がやらなくても良い仕事」が消えます。お金で時間はある程度買えます。自分のやりたいことに時間を使うためには、やはりお金の稼ぎ方も覚える必要があるかもしれません。限りある命の中で、私たちがやらねばならないのは、正解のない問題、自分の問題や世の中の問題をどう解決していくか、という点に尽きます。

と書くと意識高く思うかもしれませんが、「どうやったら自分や周囲の人たちが、より楽に、快適に、楽しく生きられるか」というのを追求することに尽きる、ということです。

個の時代、ゆるやかな連帯の時代。そうであれば、自分が持つ「情報」は何か「スキル」は何かと考える必要があります。人から頼られないとつまらないですし、何かを快適にすることもできません。お金からも遠くなってしまいます。時間を無為に失いやすくなってしまいます。

ヒントは常に「相手を助けたい」です。これから入れば、自然と自分を省みることができます。「モテたい」でも同じです。心から「モテたい」と求めれば、自分が持つ「情報」は何か「スキル」は何かを真剣に考え始めるはずです。「相手を助けたい」という気持ちは万能です。

(今はピンと来なくてもいつか気がつきます。「相手を助けたい」と心から思えれば、お金も稼ぎやすくなります。お金のことを考えるのは個人的には好きでないです。好きでない人は多いと思います。お金のことなんて考えなくていいくらいにお金を稼ぐというのは大事です。ピンとこなければ、まずは「助けたいと思える相手」を探すのが良いかもしれません)。

まったく異なる背景を持ち、まったく異なる仕事をしている人たちが世の中にはいて。彼らと仲良くなると世界は広がります。こういった経験はレアでないです。②の状態は、出会って弾けた広がりに似ているかもしれません(小沢健二さんは2017年にして様々なコラボを見せてくれました。熱情がはねっかえる)。

年々「餅は餅屋だなぁ」と思うタイミングが増えている33歳。餅は餅屋と呟いた陰獣は旅団に負けました。個の時代、ゆるやかな連帯の時代であれば、「人を見極める能力」もより一層、重要です。人を見限る決断もきっと重要です。そうしないと旅団に陰獣をぶつけてしまいかねません。

(唐突に小沢健二とか、ハンターハンターとか、今の若者にはひょっとしたら謎の言葉が紛れることはよくあります。何がどこで役に立つかは本当にわかりません。色々なことに興味をもっておくと人生はかなり楽しくなりますし、楽になります。)

 

自分が何屋かを把握する

「自分が何屋さんであるかを言語化する能力」や、「目の前の他者が何屋さんであるかを識別する能力」は、個の時代ではより一層重要になります。私がすでに陳腐化され尽くしている旧来の「弁護士屋さん」であれば今のような多くの選択肢を手にすることはできませんでした。専門学校で何かを教えることも多分なかったと思います。

自分が何屋さんかになれたのは、まだ弁護士になる前の20代の後半だったように思います。遅かったです。

意図を持って意思決定し続ければ、自然と自分の領域はできあがっています。何屋であるにせよ、意図を持った意思決定を続ければ何かしらの領域を手にできます。この確信が得られたのは33歳のいまになってかもしれません。今なら言えます。ちゃんと意図を持って行動し続ければ、自分の領域を手にできます。実は、人間の能力にあまり差はないと思っています。どれだけ真剣に生きているか、どういう癖をつけて生きてきたか、が全てを決します。

美味しいラーメン屋さんを知っているとか、そういうところから始めてみても良いかもしれません。ちなみに昨年末の私の家庭内目標は「平日夜デートをする」「料理のレパートリーを増やす」でした。家庭内料理屋さんや平日夜デート屋さんになるにはまだ時間がかかりそうです。とにかく、自分が持つ「情報」は何か「スキル」は何かと考える必要があります。

 

ゆるい連帯で情報交換をする

人類の進歩の基本は、巨人の肩に乗ることです。車輪を再発明しても意味がありません。誰かから「情報」を得たり「スキル」を分けてもらえば、その誰かの肩に乗って、より高いところに、遠いところにいけます。自分のなすべきことに対するヒントをもらうためのコミュニティがあると素敵です。ゆるい連帯をゆるゆる伸ばしていくと楽しいです。困った時の解決策が豊富になり楽になります。

例えば弁護士も情報交換は大事です。そのために大学やロースクールや司法修習があったのでは、と思うくらいに。当然、守秘義務の範囲内ではあるものの、条文・判例、業界の慣習、監督官庁の考え方といった貴重で本質的な情報を日々交換し合っています(そしてこれらの情報は絶対に本には載っていません)。

こういう案件が来たらこの人にLINE飛ばそう。という相手が何人かいると心強いです。私でいえば、法律がらみだと、個人情報保護や芸能案件だとLINEが来ます。その他にはゲーム大会の業界事情やら、サッカーのアンダー世代の情報交換などに呼ばれたりします(特にサッカーは嬉しい。ゲームの領域は正直自分の本質とは少し遠いです。)。

LINEが届いてはじめて「俺は××屋さんでもあったのか」と気づくことがあります。むしろ第三者の目を通してはじめて自分が何屋かを知るのかもしれません。

なんであれ「現場」にいるのが大事です。自分がどういう「現場」をもっているかは、即ち自分が何屋さんかという問いに直結しそうです。例えば私の2017年の現場は、サッカー界隈と法律家界隈でとある役割を果たすことでした。今年はまた少し違います。遠くても「助けたい」という気持ちが「お互いに」あれば、きっと何かしら一緒にできます。

 

ゆるい連帯でスキルを分け合う

解決すべき課題ごとにチームを組成して、集まって離れてを繰り返していく。最近は、こういう形でしかできない問題解決がありそうだなと気付きつつあります。

中心があって、誰かが手を引いて人を集める世界観とはまったく異なります(「誰かが弁護士同士のチーム組成の舵取りをしたらおもしろい。ランサーズ的な。しかし弁護士法等から中心にお金を落とすのが難しい。マネタイズは難しい云々…」というのはまったく的外れの古い世界観です。)。

各々が各々の目的のために集まって、そして散らばっていく。幻影旅団ですね。中心で「手柄」を欲しがったり「お金」を欲しがったりする人がいると、良い仕事はできません。旅団的やり方でしか解決できない本質的な課題は、いくらでも世の中や自分の中に残っています。

旅団では、経歴も肩書きも所属組織名も無意味です。これは本当に無意味です。裸の自分たちで牙を研ぐ必要があります。「肩書きはわかった。で、お前は今ここで何ができるの?」と問われます。現場に出ると何も頼れません。個の能力はすぐにバレます。

苦い経験もありました。

とあるサッカー代理人に「世界最強のクラブをつくってみて。はい今から11人挙げて」と問われ挙げると、「××にするのは何故?○○を入れた方が良くない?隣のポジションの△△とチームメイトだし。選手同士の相互理解は考えた?」などの問答を受け、すぐに各配置のロジックを組むことができず悔しい思いをしたことがあります。

現場の情報を知り仕事として向き合うことと、外から趣味で見渡していることとの本質的な差は深いです。世の中は、責任を負わないとわからないことだらけです。

 

とかなんとか言いながら隙あらば自分語り

自分に物足りなくなってしまい、私は来月からとある組織に所属してみることにしました。日々の世の中の動向をみながら、「ここなら働いてみたいなぁ」と漠然と思っていた唯一の組織にお邪魔できるのは本当に運が良かったです。

野良で弁護士をしながら稼いだ情報やスキルセットとの相性も良さそうです。どの程度の期間そこにいるかはまったくの不透明ですが、忠誠を尽くします。

六本木おじさんになりますが、恵比寿の法律事務所の方も引き続き私が持っています。責任も負っています。直接関与できる案件は増えませんが、事務所としては拡大していくと良いのではないかと思っています(そして私の口座も相変わらず膨らみます)。

「万全の状態」を待ってたら永遠に動けない。という訓示が好きです。

 

…書き下してみたものの、多分これを整えて量を半分くらいにしたら良い文章になりそうですが時間がないのでさようなら。モンハンやります。

定義をめぐる冒険

定義をめぐる争い。人類の歴史の中、時代や場所を問わずあらゆるステージで発生し続けた。最も有名で根深い抗争はやはり「ヒップホップ」だろうか。「ラップという手法を使えばヒップホップか。いやお前のそれはヒップホップじゃない。」「イナタイビートに乗せて韻を踏むのがヒップホップか。そんなオールドスクールはもはやヒップホップではない。」そうやって自己表現の文化とともに定義を主張し合い、北米では東海岸と西海岸の争いが加熱した(「池袋ウエストゲートパーク」のドラマはそれをうまく模し、まさかの池袋の東口と西口で抗争を生じさせた)。やがて死者も出た。この争いは未だに続き、フリースタイルダンジョンでも「お前のそれはヒップホップじゃない」という指摘はよく見られる。彼らにとってヒップホップとは生き方それ自体を指す言葉なのでヒートアップするのも無理はない。そして人類の歴史の中、あるときは「フットボール」さえも定義をめぐる争いの場になった。世界最強チームのコンダクターとそのチームメイトがフットボールを定義した。彼や彼を支持する者たちは、その「フットボール」の定義から外れるものを「アンチフットボール」と罵った。最近でいえば「esports」や「プロゲーマー」も同様だろう。「スマートコントラクト」や「リーガルテック」も同様のようだ(最近発売された「リーガルテック」と題された書籍のコレジャナイ感を表明する同業者の多さたるや。私も同感です)。

生き方それ自体を指す言葉であればその定義について大きく意見・反発が出ることは当然だろう。ひとつ願うことがあるとすれば、不毛な時間が減ることだけ。「主張」とは、「事実」に「ロジック」や「価値観」を適用して引き出された「評価」である。まずは前提とする「事実」の認定には注意を払うべきだ。しかしこの「事実」の部分は厄介だ。誰も神の目線など持っちゃいない。専門領域の難しさもあるだろう。そんなわけで前提「事実」に誤りが混入することは往々にしてある(陰謀論や疑心暗鬼で歪められたのではないとしても)。「事実」が現実と本質的な部分で異なれば、これに対する「評価」をいくら叫ぼうと聞く耳を持っちゃくれないだろう。これは誰にとっても意味がない。だとすれば、主張をする前にまずは動き回って「事実」に関する情報を集めるべきだろう。「目的」の段階で食い違っているのか、手持ちの「ロジック」や「価値観」が異なるため採るべきと考える「手段」が食い違うにすぎないのか。

そして「現場」にある「価値観」は大切にしてほしい。私の経験でいえば、私自身も10数年前、池袋西口公園サイファーでヒップホップの定義について争う中にいた(「聞いたぞこいつ東大生。勘違いラッパー超ダセエ。」という2億回くらいされたひねりのない踏み方をされた末に、互いにパクられる覚悟とボコボコにされる覚悟でまったく知らん人らと喧嘩をすることもあった)。実感として感じるのは、少なくともヒップホップでは「現場」「当事者」の持つ力は極めて大きかった。結局、当時「現場」にいた彼らが今も中心にいて、何がヒップホップであるかをヘッズたちに示し続けている。シャビの言葉が世界全体に対する力を持ったのも「現場」にいる超一流選手だったからだ。「現場」にいる当事者として「価値観」を表明することは役割を果たす。その部分こそが彼らの特権。「事実」について的確に把握できていなさそうなとき、まずは単に物差したる「価値観」のみ表明するのも有効だ。

そして欲を言えば、「主張」すべく、気になる情報を自ら集めにいったらいいような。もし何も気にならないなら「お前の定義はわかったよ。でも俺には俺の定義があるから」と「価値観」のみを表明し続けるのがいいのではないか。自分ならそうする。ああでも自分はできる限り自身も世界も更新していきたいなぁ。耳専門の広告モデルと北海道へ。そして冒険を楽しもう。一気に書き下ろしたのであとで修正しよう。。

スポーツビジネス

今日も10年前の自分に伝えたいような内容でblog。三浦知良選手に憧れてサッカーを始めた自分からすると岡田武史さんには様々な思いを抱かざるを得ないものの。現状ますます非常に重要な役割を果たさんとしている方なのでいつも興味深く見ている。彼の記事で「日本ではスポーツがビジネスになっていない。タニマチ探しになっている」という言葉があって、ああこれだこれだと思った。きちんとビジネスをすることは、タニマチ探しをするよりよほど良いはず。手を抜いたりしてはいけないなと。関連してしばしば見かけるのは、スポンサーくださいスポンサーくださいといいながらその対価を示せないデジタルスポーツ選手。欲しがるならまず己の価値を自ら示さないと。誰もがそうやって生きているんだから。努力の才能があるとしても方向性をちゃんと考えないと勿体ない。とはいえこれは受け取る側の問題ではなく与える側と受け取る側の関係性の問題。なんにせよビジネスは大変。他人と関わるのは大変それはもちろん。他人と何かをしたいなら、仕組みを考えて動かさないと難しい。そして自分を統制するのも難しいそれはもちろん。個人としての振る舞いも、戦略を立てないとサイコロを振るのと同じ。というのは昨日も書いたような。これに関連して「結果が予想の範囲内なら動じない」というのも本質的。これは岩政さんと小宮山悟さんの対談における小宮山氏の言葉。よくうちの弁護士に「この応答(結果)は予想できましたよね。こうなったらどうしようと思っていました?ではそれを粛々とやってください」を優しく砕いて伝える。事前の戦略がハリボテだと慌ててしまって生産性が落ちてしまう。お金かぁ。私自身もお金の話はあまりしたくない。いま自分が「お金」に対して離れるような振る舞いができているのも余裕があるからに他ならない。お金から離れるには稼ぐのが手っ取り早い。同じように確かなこととして「お金」も「人」も自分から近付こうとするのではなく寄るのを待つ方が絶対に良い。目の前の仕事を頑張れば勝手に寄ってくる。自分が何をしたいかを見極めてそれに専念した方が良いなと。当たり前のことなんだけども。「接していて気持ち良い人間たれ」という素朴でfatalなtips。これに尽きる。ただこれも他人に押し付けるようになったら終わり。二日連続のblog更新。またタイトルと中身が関係ないや。マシマロ。

 

文中の2記事は以下

チームづくり

今年のテーマは「チームづくり」。仕事も家庭もその他諸々も。良いチームワークを築くことに専念したい。そして、自分を的確に把握することがチームづくりの前提だなとよくよく思わされる。

  

back in the dayしてみると小さい頃から自分は「人生は短い」という感覚を持っている。そして「人生は短い」という感覚を持っていると以下の2つを求める性向が現れる。①「非効率」を減らしたい。②「選択肢」を多く保っておきたい。そして真剣にこれら2つを求めて生きているとどういう癖がつくか。「常に考えながら走る」という癖がつく(モダンサッカーこそ人生?)。戦略のない行動は、単にサイコロを振っているのと同じ。検証ができず時間の無駄。常に考える。常に走る。情報も武器。経験も武器。とにかく情報を集める。とにかく経験する。

人生は短いので、例えば受験も頑張れた。「善かれ悪しかれ学歴があると選択肢は広まりそうだ。」「よし、手に入れよう。」と考えたことは役割を果たした(センター試験二日目がんばってください。)。高3を過ごした2002年はW杯イヤーだった。友達の家に行ってみんなで代表戦を観戦した。あの6月の鈴木隆行を忘れない(昨日の引退試合、AbemaTVで観ました。最高でした。)。夏休みは秋の文化祭に出るためにバンド活動に励んだ。問題もストレスも生じなかった。効率性はそうやって人生を豊かにした。

東海中学・高校の6年間は「効率性」と「選択肢」を育んでくれた。少なくとも情報の宝庫だった。社会的な立ち位置なんて関係なくみんな今でも人生を楽しんでいる。自分は今でも、陽気な彼らからしたら隅っこの中途半端な場所にいる。林修先生先輩や高須院長先輩なんかを見ていてもそう思う。すごいよなぁ。自分は他の同級生たちのようなサラブレッドではなく野良の子どもだったけれど、「効率性」の神には愛されている予感があった。自信もあった。何も難しいことはなかった。必死に勉強する必要もなかった。同じ感覚を持っていそうな友人がいたのも手助けになった。彼は夏休みを、ドラムをゼロから学ぶのに費やして、一緒に文化祭の舞台に立った。そして同じ大学に行き、日本で一番大きい法律事務所で働いている。すごいよなぁ。最近知ったのはメルカリ先輩。すごいよなぁ。

 

18歳で東京に出てから、とにかくいろいろな挑戦をした。全てが実力だった訳では全然ない。それこそ例えば予想通り(いや、予想以上に)東大生というのは効率性をもたらし選択肢を拡大した(「ラベルが通用してしまう」という事実自体はもちろん善かれ悪しかれ。しかし事実として利用できるなら使えるものは全て使いたい。なぜなら人生は短いから)。しかし使えるのは入口をこじ開けるところまで(「まほうのかぎ」くらいかな。「さいごのかぎ」ではない。)。こじ開けたあとはとにかくトライアンドエラー。戦略を持って走り続けた経験は、様々なことを効率化したし、様々な選択肢をもたらしてくれた。いろんなラベルを手に入れた。しかしチームづくりに失敗し最も大切だったチームは消えてしまった。折れた。

最近とあるインタビューで自分から出た言葉がとても腑に落ちた。「自分が何が得意で何が苦手かを把握しているので、いつもポジティブでいれるんです。」と。ポジティブでいれることは、効率性・選択肢に愛される秘訣なのかもしれない。走るのをやめなくてよかった。「また何かあんだろ」と思えてよかった。

振り返れば20代はこの「何が得意で何が苦手か」を把握するために捧げられた。トライアンドエラーでしか手に入らなかったものがたくさんある。危ない目にもたくさんあった。予期せぬ幸運もたくさんあった。もちろん走って逃げることもあった。何度もアーバン・ブルーズに貢献した。それにしても、20代までの自分を知ってくれている中高の友人たちはかけがえのない存在だ。

 

あらゆる戦略にデメリットがあるように、当然この「人生は短い」戦略にもデメリットがある。それは…。ああもう。「・チームづくり / マネジメント・早期独立したい弁護士さんは私に相談してみたら」これらがいいたかったのに全然いえなかった。1巻まるまる回想シーン。

はい投稿

本2017

・2017年に発売された

・その本に関連する業界で働いていて信頼できる人から紹介された

・自分でも気に入った

・ハイコンテクストでない / 専門書でない

 これらを満たす本を列挙します。他にもあったかなぁ。オススメです。

 

Airbnb Story

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プロスポーツビジネス 私たちの成功事例

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ビジネスパーソンのための法律を変える教科書

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東大ロースクール 実戦から学ぶ企業法務

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人工知能の核心 (NHK出版新書)

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