偶然の恵比寿

恵比寿の弁護士 藥師神 豪祐のブログ

旅路を祝って

※この文章の8割は苦手な長距離移動の新幹線車内で書かれたものである。

 

ILC。国際リニアコライダーをご存知だろうか。分かりやすく世界の最先端。素粒子実験施設。その誘致合戦において一歩リードしている県。そう、岩手県。そんなわけで本年初の旅行先は岩手県となった。タイムフライヤー。そうでない場合もあるものの。

世界にあるのは「事実」と「評価」。ベタな結論。世界は言い尽くされているので仕方ない。とにかく筆は折れてはならない。そうでない場合もあるものの。

なんであれ「結論」(「解答」)だけを言う文章は役に立たない。 求めるべきは「解答」ではなく「解法」。吟味すべきは「解答」ではなく「解法」。「解答」それ単体を手渡されても、どう物差しを当てていいか分かるはずもない。「結論」を言い忘れた文章がアレなのは、「結論」なしは「解法」の不足に他ならないから。「構造」と「モデル」。「分析論」と「提言論」。そうでない場合もある。

「結論」はDoActionにつながるまで全く重要ではない。重要なのは持ち寄った「材料」と「調理のうまさ」。以上。出されたものを美味しいと感じるかマズいと感じるかは、個々の味覚(物差し)がもたらす私的な結論にすぎない。

 

であるからして例えば。「役割を強制的に割り当てて議論をさせる講座」は世界的に流行っている。有用だから。例えばFIFAマスターとなるための講座や、サッカーの指導者向けの講座にも同様の内容があるそうだ。対立した2つの立場にランダムに割り当てられ、本音とは別のところで議論を展開する。ある種の無知のベールを被せられ、「事実」と「評価」を組み合わせた「解法」を吟味していく訓練。使用する「事実」。それの「前提事実」。さらにそれの「前前提事実」。クライマー。

弁護士業務も同様であろう。私たちはあくまでも対立する当事者のいずれかの代理人であるにすぎない。仮に別の立場に就任すれば、別のことを強調していたはずだ(現に相手方代理人がそうしているように)。だからこそ能力の差が結果に反映され得る。もっとも、当然ながら真実の周囲で行う綱引きになるので、行ける場所の幅は限られている。とりあえず集められた証拠と証拠から推認される事実たちを前に、行ける場所を嗅ぎとることになる。そこでの見通しから、事件は「勝ち筋の事件」「負け筋の事件」などと分類されたりする。その上で、堂々と誠実に進めて行く。そこが面白いんだよなあ。

 

前提とする「事実」が増えたり減ったりすれば、不変の物差しをもってしても、「結論」(最終的な「評価」)はいくらでもひっくり返る。意味があるのは解法(「結論」に至る「事実」と「評価」の組み合わせたち)の吟味。これが「批判」と呼ばれるもの。批判とは、何かを否定することではない。事実であれ評価であれ、鵜呑みにせず吟味することをいう。

さて私たちは、岩手県に旅立った。旅において検討すべきなのはやはり「帰路」なのではないかな(結論)。と改めて思った。夜中にラーメンを食べに行くかを検討するときであっても、考えるべきは「帰路」。店を出た後にどんな表情をしているか。どんな気持ちであるか。旅に出るとき、「行ってもいいけど帰路が残るよ」という声を私は掛けたい。掛けてほしい。

 

あらゆるトピックに対して「経験」で返せる人が強い。毅然とした態度の女性は美しい。これまでの仕事で一番大きい仕事は何。「大きい」とは何か。相手方の定義に従った「大き」さで承認を得たい。そう思えたら幸せだ。

 

NIRVANAの『NEVER MIND』の本編ラストを締めくくるのは「何かがひっかかる」。魚は感情がないから食べてもいい。何かがひっかかる。…といったような楽曲。相手よりメタに立った者勝ちゲームをしている者に対して『Somthing in the way』を捧げたい。何度目かの、「気付いている者」であると叫ぶ、啓蒙したがり屋さんたち。「まだお前そこにいるの。こっちに来なよ」と。何度目かのPostシーズン。大いなる物語を疑い小さな神を持っていると突き付けられたポストモダン。FactではなくOpinionが世界を動かしているポストトゥルース。指針の主導権はあなたにある。おめでとうございます。FactとOpinionがイコールであるのは、イデアの水槽から出てきたものだけ。

 

人間が言えるのは、「①仮にこういう事実があったら②それはこういう評価をすべきだよね」ということだけ。そうでない場合はない。前提とした事実に変化があったときに、結論を変更する速度こそが、知性なのかもしれない。これくらい読みにくければ隠せる環。

帰路

行くと帰路が残る。完璧でないことを受け入れると進める。そしてまた帰路が残る。ありました。なんかいい。命だけが大切。2.3年前くらいから毎日ずっと「死」に怯えている。経営者のアスリート性について理解できて楽しい。命を大事に。それが誰のものであっても。とはいえ脳は発狂しない程度に曖昧に絶妙に世界を把握してくれている。食卓でお肉を見ても想像しない。それはつらいな、と疑ったらちゃんと疑えてしまい狭い空間が怖くなった。これを真顔で読めないなら断絶がある。あっち側。命について。時間について。「ある」と信じたいもののうちの幾つかについては「あった」と思えた。というか「あった」。埋めたい穴をたくさん見つけました。あーすごい。あった。ありました。そんな一年でした。

旗を立てること

ソーシャルデザイン。…来年のテーマにしようかな。大学在籍時に泣きながら数3数Cを勉強しながら専攻していたミクロ経済学のうちのゲーム理論は、インセンティブデザインの学問だった。デザイン。デザイン。

サッカー界で花開いた野心的なデザインといえばドイツによるものが知られている。

ドイツがCLで一勝もできずグループリーグ敗退を喫したのは00年(オランダ・ベルギー共催の大会)の出来事。負けた。どうしよう。…からの大胆なムーブに惚れ惚れしてしまう。「考えること」と「動くこと」が両輪であることは、ペルソナ5がもたらした幾つかあるメッセージのうちの一つでもあるし、ビーストの本にも書いてある需要な経験則(10年ぶりくらいにRPGをプレイした。ペルソナ5は素晴らしかった。素晴らしい。気が乗ってFF15までやりました。こちらも良かったです)。ドイツのサッカー界は、ドイツ中を400近い区域に分けて、1000人程度の指導者を送り込んだ。大胆。ドイツ的。ブンデスの1部2部にユースアカデミーを持つことを義務付けた。そして、どのクラブにも12人のドイツ人がいる。それにとどまらず、6人の地元出身選手がいることになった。

という話は有名であるが、アイスランドが同様に00年から一大プロジェクトを仕込んできたことはあまり知られていない。かもしれない。

アイスランドといえば今年のEUROで大きな達成を果たした。イングランドを撃破しベスト8に残った。会場にヴァイキング・クラップが響き渡った。初出場でベスト8。人口はたったの33万人程度。工夫があり、実践がなされた。評価ではなく、事実を積み上げた。アイスランドは00年からの改革で、指導者全員にライセンス取得を義務付けた。雪でピッチが使い物にならなくなるため、なんとピッチ入りの巨大ドームを国中に建設した。そして16年目に芽吹いた。ちなみにアイスランドは、もう一つの偉業を成し遂げたレスターよりも人口が少ないらしい。

以上が「落とし所に落ちると気持ち良い」パターン。「競争」というコンセプトを元にした穴探しと穴埋め。ピーター・ティールからすればコミュニストのコンセプトだと嗤われる。かもしれない。しかしボルヘスは別のことを言うはずだ。彼は、長大な物語があると仮定し、その要約として小説をしたためている。ボルヘスの文体の美しさは、貫かれた意図の強固さがもたらしているはずだ。「落とし所に落」とす美しさは絶対にある。

ただし、この「落とし所に落ちると気持ち良い」は、両輪の片方にすぎない。『ゆれる』という圧倒的代表作をもつ西川美和氏の著書。『映画にまつわるXについて』という本にこのような記載があった。「初めから落とし所のわかってるものを作るのはつまらない。」ああこれだ。そう思った。これに尽きる、と。ランダムな出会い。ランダムなアサイン。ランダムな紹介。ランダムな握手。その中から確信をもったアサインと、確信をもった握手。確信をもった行動。上記のアイスランドの知識は、サトミキさんの水着入浴シーンが観たくてフジテレビオンデマンドで現在一週間無料で観れる「蹴旅」というサッカー旅番組から得た知識だ。ランダムな出会い。

ある種の共同幻想から自己を解き放つ動き。からの、自分の物差しを確認する動き。ランダムな出会いといえば、この本との出会い自体もそう。Kindleのセール本にこれがあるのを土曜の朝に見つけた。気まぐれに手を出したり、気まぐれに声をかけたりしてみる。ただしいつもの注意が必要だ。「敗北に、論理を付して、合理化すること(いちばんダサいやつ…)」との違いを理解する必要がある。「勝ち」の手応えを得る必要がある。

このコンセプトにはピーター・ティール先生もPalをPayするはずだ。ゴールは常にシンプル。市場の独占。これまでなかった山を見つけて、そこに旗を立てる。そして見下ろす。ふと思い出して本棚に近寄った。俺は山を登るんじゃなくて。頂上にいて。ただそのことを旗を立てて知らせている。あれ、これ。雑誌BRUTUSの07年6月15日号で松本人志さんも同じこと言ってました。頂上に到達済みのアイディアがどこかにあるとかいうロマンス。戸惑うくせに絡みつく花びら。生まれ変わる天使。

知と世界認識

先日、東京大学日本サッカー協会の提携記念式典を見届けるため、文京区本郷にある安田講堂に行った。聖地安田講堂。東大生でも卒業するまでに2回くらいしか入ることのない聖地。

東大総長五神氏、JFAの田嶋氏や川淵氏、FIFA会長らが一堂に会する様のラスボス大集合感。悔しいものの圧倒された。

FF15をクリアしたばかりで「ラスボス感」について輪郭が縁取られていたタイミング。それでもなお耐えうるラスボス感)

東大総長の任期は、前総長の濱田氏の代から4年ではなく6年の長期任期に変更されている。壇上で五神氏(任期は平成27年4月から)は東京五輪を視野に入れた長期的な展望を語り、その重要な一部としてこの提携を位置づけた。

類似の提携のほとんどがそうであるように、「定期的に挙がる報告書」が唯一の成果物となる可能性もある(壇上でこの点を指摘されていた方もいた)。しかし、東大の持つ「知」とサッカーの持つ「競技としての圧倒的魅力」に配慮し合った講演は、形而下に降ろさずにはいられなくなるような、とても素晴らしいものだった。

提携の身体をVRし、今なお眼前のコーヒーを提携として触れたいくらいだ。

東大の掲げるリベラルアーツ。その関心の中心には、啓蒙的な知識を増やすことではなく「実益」が据えられている。そこが好き。法律も同じ。「どう使うか」にいくらでもアートの余地がある。法について李斯が何と言っているかは、キングダムを確認する必要がある。

タリーズにいる。タリーズのコーヒーを飲む時に得られる示唆。世界の箱の中に、「広く多様な他者と交流すること」がもたらす効能が少なくとも2つ入っていることが知られている。

一つは充足。「混ぜたらどうなるんだろう」という知的欲求。それが満たされる。穴があったら埋めたい。それが全て。できる限りの穴を見てみたいし、できるならその穴を全て埋めたい。

とはいえ、それを否定するために必要な嘘はたった一つ。残念ながら、たった一つ嘘をつき、それを諦めなければいい。そうすればあんたは私や私的なる存在ともう手を繋ぐ必要はなくなる。私は桜井和寿さんではないのでand I love youの大サビは並行世界の先の先にある。各々が各々のものさしで選択をすればいい(その集積が一切「社会的選択」につながらないのは、ミクロ経済学があるのにマクロ経済学が要請される理由や、「複雑系」などと厨二っぽいフレーズを学者たちが口にせざるを得なくなった理由を尋ねるのが早い。そして自分がどうやっても世界から出られないことに苦しめばいい。引っかかりに怯えながら思い込めばいい)。ただしジョジョ7部の大統領が持ち出せないのは遺体だけだ。小さな嘘なんかではない。

もう一つは、確認。「一流」の人は、どの分野で闘っていようとも、結局は同じところに到達し、同じような哲学をこの世界から引き出している。そのことを確認できる。今年初頭に自分のヒーローだったビーストに出会ったのは自分の人生で有数の出来事だった。彼の周りにいた巨人二人も自分の小ささを思い知らせるには十分な破壊力だった。私は破壊され続けている。アンドビルド。

堀江貴文さんも同じような発想に至っているのかもしれない。タイトルは趣味に合わないものの、先月に発売された『なぜ君たちは一流のサッカー人からビジネスを学ばないの?』は多くの示唆と確認をくれた。宇佐美貴史宇佐美貴史となるのを私は待っています。

その式典の数日後、今度は横浜アリーナJリーグアウォーズを観に行った。お仕事でJ3栃木SCFC琉球の試合を観に宇都宮まで行ったとき以来の、肉眼でお見かけするサトミキさん。その可愛さに世界が震えた。宇佐美貴史氏からの井手口氏に対するメッセージに心が震えた。

 

「知」と「世界認識」。これに、大人なのでもう一つ加える。「大義名分」。世界を更新したい。クラウドアトラスに出てきた弁護士はおおよそこんなことを言った。「僕には助けられない。君には君の運命があるんだ」。正解はない。サルトルが言わなくとも、どの次元で神概念を導入するかの違いにすぎない。なぜ花は綺麗なのか。虫を呼ぶためよ。なぜ虫を呼ぶのか。花粉を運んでもらうためよ。なぜ花粉を運ぶのか。種を保存するためよ。なぜ種を…。好きなタイミングでそれぞれがそれぞれのものさしをあてて止めればいい。どこであれ、「納得」という最低限の効用は得られるだろう。足りない。自分のものさしが満足してくれるような「実益」が欲しい。跳躍が起きて貨幣になったのは「李」だけ。思い込みが剥がれない。まだ見つかりません。

オイコノミア

藤野英人『投資家が「お金」よりも大切にしていること』星海社新書2013

・新書は意外と馬鹿にできないですよシリーズ。去年あたりからたまに「3日に1回くらいブックオフの100円コーナーに行く」時期を設けるのがストレス解消法になっていた。

・今年の4月から専門学校講師を務めている。授業内容を考える際に、色々な本が参考になった。そのうちの一冊でもある。

 

・「お金」について向き合う機会を持つきっかけになる本。お金について考えることは、人生について考えることにつながる。限られた人生の時間をどう使うかを考える。

・お金の稼ぎ方や、貯め方、増やし方について考える機会はなにかと訪れるものの、お金の「使い方」について考える機会は意外とない。こんな本はあってもいいし素敵だと思った。

 

・「お金」について考え出すと、知恵(経験)や情報(知識)が欲しくなる。というのはビジネスパーソンが持ち歩いてる前提。このことを知っている大人たちは、そのことを知らない若い世代に対し、うまく知恵と情報を欲するよう促していく責任があると思っている。いや、責任はないか。

 

・例えばサッカーのバルサも、アカデミー世代には教育や生活環境を整備することに力を入れている。練習前に学校とは別に補講を設けたり、クラブが家庭教師をつけたりする。ほとんどの選手がプロになれないからこそ、徹底的に教育をする。シャルケがトップチームやアンダー世代ドイツ代表ですでに活躍している選手に対して、大学進学のための資格がとれるよう配慮したり。トップであればあるほど、知恵や知識の重要性(しかも早めにそれを手に入れることの重要性)に気がついている

・教育という言葉はこういう場合ふさわしくない。気もするが、身もふたもないが「教育」そのものだろう。

・日本だと國學院久我山。18時10分には完全下校で朝練もなし。だったはず。効率性を貫いた練習メニュー。決勝後のインタビューで3年間で学んだことを問われたDFは「オンとオフの切り替えです」と述べた(そしてAO入試でKO大学へ)。記憶を元に書いているが、確かこうだったはず。こんなに素晴らしいことはない。彼らは他では得られない経験を手にするにとどまらず、広い選択肢を抱えたまま次のステージに進める。

 

・さて、福沢諭吉が「経済」と訳したとされる「economy」。その語源は、ギリシャ語の「オイコノミア」。

・オイコノミアといえばEテレで毎週水曜午後10時から放送されている人気番組。今夜は梅原大吾さんがご出演されます。しかも私の大学の同じ経済学部の大先輩である安田洋祐さんとの対談(10年くらい前に、私が所属していた神取ゼミの関係かなにかで、一度お会いしたことがあるような記憶)。梅原さんは何を話したのかな。放送が楽しみで仕方ありません。。これだけが言いたくて急いで無理やりブログ書いたよね。

思いがけず

川淵三郎『独裁力』幻冬舎新書2016】

・タイトルはともかく。非常にためになった。

・もはや「バスケの人」になっている川淵氏。男子はアジア8位。世界では40何位とか。バスケは昨年までNBLbjリーグの2リーグに分かれていた。FIBAFIFAのバスケ版)に統合しろって言われた。無理だと思われていた統合を果たした。その一連の流れが記述されている。これは本当に貴重な資料。タイトルはともかく。

・個人的に興味深かったのは、①2年を費やしてJリーグの定款、規約、細則を定めたくだり。ドラフトを起案したのは二人。川淵氏と同じく古河電工出身の弁護士である池田氏と、博報堂の法務室にいた小竹氏。彼らがドラフトを起案し、川淵氏とともに、理念を規約に落とし込んだ。おお…。

・こういうお仕事いいよね…。いい。メンバーもそれはそうだよねという配分。これは参考になる。とっても。

・次に興味深かったのは、②日本トップリーグ連携機構の方と、バスケ男子元日本代表監督から、分裂している二つのリーグを統合してほしいとの依頼が来たことと、その際に川淵氏がバスケについては門外漢であった点。

・揶揄されやすい立ち位置にいる方でも、実力があって誠実だと、きちんと知られているんだなと思って。少し素敵な気分になった。「外部からきた人」が思いがけず物事を解決するのは、意外とレアケースじゃないのかも。そうだといいな。

 

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・「歩きiPad」という発明をしたおかげで、移動中は映画の時間に。テーマは、①観たかった映画を観よう、②これまで観なかったパターンの映画を観よう。

・『紙の月』『白夜行』『TOKYO TRIBE』『ヒミズ』『ソロモンの偽証』良かった。思いがけず良かったものもあって。とても幸せ。「思いがけず」ってめちゃくちゃ素敵な言葉だな。。

・『舟を編む』『僕は友達が少ない』『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』『夜明けの街で』すっかり染谷将太さんのファンに。どれも思いがけず良かった。

・『プレステージ』『スティーブ・ジョブズ(2013)』『インサイドジョブ』『グランドイリュージョン』プレステージはググってやっと結末の意味が分かりました。。

・『アオイホノオ』『ノーコンキッド』素敵なドラマ。両方とも当たり。

・結構観たな…。

 

【得たレッスン】

・無駄になるかもしれない努力をどれだけ全力でできるか。という幼い頃からの人生のテーマにぐるっと戻ることができた。なんであれどこかで思いがけず何かの役に立つ。と信じていいのはもう知ってる。

ソフトロー

■文言と解釈

・国や地方公共団体が定めたルール(実定法と呼ばれたりする)を扱うのが法律実務家のお仕事の中心になっている。と聞いている。

・ルールがある。ルールに事実をあてはめる。ルールに書かれている法的効果が発生する。国家がそれを最後の最後には執行する。そして、ルールは文字でできている。

・法令の文言から一義的に解釈が定まらない場合も当然ある。そのような場合には、法解釈という試みの中で、「妥当な結論」に向けた微調整が行われる。そこでは、起草者の意図・沿革、利益衡量、体系的整合性といった様々な武器が持ち出される。時には、より上位のルールである憲法を持ち出して、ルール自体に異議を唱える場合もある。比較法といって、海外ではこうなっていてこういう理由でうまくいっている、という話を持ち出すこともある。ビジネスの見立てと同様。思考空間を回していく過程に一歩目の誠実さが宿る。

・言葉で書かれている以上、解釈の「余地」がある。「余地」がもたらす機能は、「妥当な結論」に至るためには欠かせない場合もある。解釈が一義的に定まらないことは必ずしもマイナスではない。

・もっとも、ルールがあまりにも曖昧だと弊害が起きるのはご想像のとおり。例えば新規事業を起こそうと考えている起業者からすると、「これもダメなんじゃないか」「あれもダメなんじゃないか」と疑心暗鬼になって萎縮してしまう。そんなわけで予測可能性の確保は重要な課題になる。

 

■グレーゾーン解消

・「予測可能性の確保」という最重要課題。これには当然ながら、歴史の中で様々な手当てがなされている。

・新規事業に関していうと、例えばノーアクションレターという制度がある。事業者の行為が規制対象となるかについて予め照会すると、法令を所管する官庁が規制対象か否かについて回答してくれる制度だ。

・使い勝手があまりよくなかったので、平成26年にグレーゾーン解消制度、企業実証特例制度という制度も創設されている。いずれも新規事業の促進そのものを目的とした制度(根拠法令は、その名も産業競争力強化法)で、後者はなんと、新規事業が規制対象となってしまう場合に、安全確保などの措置をとることを条件に、やっていいよと特例を設ける制度になっている。

・ぱっと見ると、ノーアクションレターとグレーゾーン解消制度は似ている。厳密にいうと、前者は照会の対象となる法令に制限があるという違いはある。もっとも、新規事業を行うにあたり萎縮させないようにするという点で趣旨を一にする。

・ではなぜノーアクションレターがあるのに別の制度ができたか、というと、政権が飛ばす矢が2つでなくて3つである必要があったのは以前の記事の通りだが、他にも理由がある。

ノーアクションレターは、規制当局に対して照会する制度になっているのに対し、グレーゾーン解消制度は、事業所管大臣を通して照会するという制度になっている。法律実務家の中では、この違いはさすがに大きいよね、という認識がある。規制当局がNOを突きつける論理や怪しい迫力を過剰に蓄えていることは、誰もが積み上げてきた経験則になっている(もちろんそうすることが役割なのでそれでいい)。

・ちなみに、賞金付ゲーム大会についての問合せを人類史上初行ったと主張する者がいるとする。その場合おそらく、①ノーアクションレターを用いていること、②照会の前提としている事実が一般的ではないこと、からして、法律実務家からするとハテナしか浮かばない内容になっているはずだ。あくまでも照会の前提として述べた事実を基にした回答しか得られない(また、「ノーアクションレターの公表を受けて賞金制度を変えた大会がある」とまで言っているとすれば、以前から当局と折衝しながら動いてきた業界全体に対する冒涜であろう)。

・グレーゾーン解消制度は、事業を所管する官庁が、規制当局との間に入る形になるので、この国の産業全体において前向きなものとなりやすい。さらに、企業実証特例制度とのリンクまでついている。うまくいけばとっても素敵な制度となるだろう。

 

■ソフトロー

・実定法と言い換えた、国や地方公共団体が定めたルールは、ハードローとも呼ばれている。これに対し、ソフトローという概念がある。が、ここで紙面は途切れている…。