偶然の恵比寿

恵比寿の弁護士 藥師神 豪祐のブログ

結構多いな、

求めるものは、「気持ち良さ」と「美しさ」、この二つなんじゃないかというのが今の気持ち、32歳が冬に持ち歩きがちなやつ、

「入手した情報を早速使う」、これって気持ち良い、たぶん原初の気持ち良さ、嘘が混じっている可能性が低い気持ち良さ、人生が「入手した情報を使う」の連続であれば楽しい、情報を入手するのは嬉しい、楽しい、そんなわけで多様な人たちと交流するようにしている、どんな誰に対しても各自が持っている独自な価値観ゆえに敬意を払っている、遣うのは敬語、言葉遣いっていうけど、「遣う」のは敬語?、「使う」のは敬語?、そんなのも分かる「仲間」にも出会いたい、

反省があるとすれば、人と人とをつなげる気持ち良さで満足し、最近あまり自分自身で若い人の面倒をみたりしなくなった、ので週末は修習生さんへのカウンセリングの予定を二ついれました(Facebookからいきなりメッセくるとおじさん嬉しいです)、仲間増やすと楽しいしみんなハッピー度上がるよね、っていうのにも既に「語」はあって、「ネットワーク外部性」とかいえばたった9文字、結構多いな、

脱線、尊厳をもった各自の独自のオリジナルな価値観をいかに尊重するか、「価値観は多様である」を前提とするならば決まり事は少ない方が良い、のになあ、そういえばSyrup16gの五十嵐さんは「のに」を歌っていると述べていた、だから好き、

最先端の情報練り練りの気持ち良さ、その一方で、「初志を貫徹する」ことの美も維持したい、自分の同一性が保たれなくなる感覚はすごく怖くて、風船ばっか見てる人たちもうgood night、「喋る人」より「動く人」の方がかっこいい、「時間」って命そのものだった、配分大事、無限とみなしちゃダメだ、

脱線、本線あるのか、「みなし無限」、酸素の有限性については閉じ込められたエレベータの中以外では考える必要がない、無限にみなせるものや、無限とみなした方が思考経済に資するものは多いけれど、「それ、無限じゃないんだけど」というアレには敏感でいたい、あ、これは「喋る人」だ、「喋る人」よりやる人が好き、美、

81世代の化け物たち、1月は2人の化け物たちと時間を過ごすことが多かった、得るものが多かった、3年後か、ずっと探してた同い年のライバルはまだ見つかっていないものの、目指す先を少し垣間見た感じ、悔しくて昨日も84世代とラーメンを食べ、今日は84世代同業者とランチをして、明日は84世代3人で飲みストリートファイター5をする予定、パッケージビジネスがあります、複製容易になって次は興行ビジネスあります、入場料や物販、ただ単価固定で頭数の掛け算していくのってスケールしないよね、その先は、…、ただまあ50年代半ばのイギリス、60年代のニューヨーク、ハイカルチャーと対比されていたものたちの受容も後で語られればストーリー、キッチュってドイツ語だよ、ドイツも噛んできてるからな、後で語ればなんだって美しい、仲間がいればいいってことなんじゃないのかな、それともいつもの「そう思いたい」にやられているのか、「見抜いた」がもたらす囚われか、

努力の末に自分や家族の身を守ることができると、次は「公平性」が気になり出す、「一度踏み入れるともう前の世界には戻れない」のひとつ、知ってしまったがっかりする本音、と同じ、クチャクチャ音を立てて食べることを嫌悪する気持ち、と同じ、一度踏み入れるともう戻れない、そんなわけで「公平性」確保が気になり出す、土器を作ってた時代には感じなかったであろう囚われ、知る前の自分でいたかった、のに、そういえばあれも、昨深夜のアーセナルバイエルンの結果も、明らかに「知ってしまった」がもたらしたもの、

理想の実現、自己の拡張、自分の価値観で世界を満たそうとするのと変わりがない、デスノートが欲しいと願う精神性と変わりがない、でもそこはもうそれだ、仲間が欲しい、エレカシの「友達がいるのさ」めっちゃいい曲だよねとか、あとあれですよね、「自分とは関係ない」の箱に一回入れられちゃうと辛いよね、とか、人生、

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