偶然の恵比寿

恵比寿の弁護士 藥師神 豪祐のブログ

音の鳴る方へ

平成291110日(金)夜、東京キネマ倶楽部でのパスピエの公演はとても良かった。今年3度目に観たパスピエのワンマン。ドラマーが脱退してからは初。彼らは、見て取れる、聞いて取れる程度に変化していた。そうせざるを得ず、そうなっていった。新体制初の曲である『音の鳴る方へ』は痺れた。

多くの局面で、「そうせざるを得ず、そうなっていった」をどう転がせるかで勝負は決まる。例えばマツコデラックスさんが知性を宿した過程もきっとそうだったろう。例えば予算・人員からクオリティに制約があれど、限られた機能に対し「ストーリーを与える」などして乗り越えたビジネスはいくらでもある。繰り返されている。今のジャンプ漫画でいえばブラッククローバーだろうか。黒子のバスケも端的だ。そして私自身も、幼い頃から制約に屈しなかった。このことをもっと意識しても良いのかなと思った。5年前に背負った新たな制約も同様に(もう2度と物理的に耳鳴りは止まないしライヴは耳栓をして臨んでいるけれど)。様々なことはあったし、様々なことがあるだろう。東京キネマ倶楽部の入口をすぎると、BaseBallBearから花が届いていた。何も思わず通り過ぎることはさすがにできなかった。痛みを知るバンド同士。旅は続いていく。

自分のいる環境を受け入れて、「今いる場所から何を得られるか」を貪欲に考え続ける。多くの人が、優秀になる過程でそうせざるを得ず実践する素朴なTips。私もこれをまず徹底して来た。岩政大樹氏の名著『PITCH LEVEL』にも当然これは記載されていたと記憶している。これができたから岡崎慎司内田篤人は突出したプレイヤーになった。そんなことを思っていたら岡崎慎司自身も最近そのことを記事にしていた。

コントロール可能なものとそうでないものを峻別する。優秀な友人たちや先輩方のお陰もあっただろう。私もこれを徹底してきた。しかしもう丸3年が経とうとしている。前提を受け入れて創意工夫することも必要。そこでこそ生まれるものが必ずある(カートコバーンでさえ曲中で何度も韻を踏んだ。サッカーは手を使えない(だからこそ))。ジャズでいえば「名曲はない。あるのは名演だけ。」の精神。他方で、打開すべく前提を疑うことも必要。何事もバランスの問題。だからこそ難しい。

私がいなくなったら、音の鳴る方へ。