SPK
■学生団体
・週末、大学の時の仲間たちとのちょっとした同窓会があった。大学に入ったのは03年。その翌年に設立した学生団体。それの同窓会。ちなみに当該団体はまだ存続している。
・その団体のビジネスモデルは、大学生と大手出版社をつなげて(創作物と)印税を発生させること。おそらく今もそれほど変わっていない範囲で活動している。ものと思われる。
・社会的な意義のあることをやろうよ。これが個性も背景も異なる創設メンバーに一致する思惑だった。背景といっても当時19歳や20歳で深い何かがあったわけではないが、個性は広かった。
・いずれにせよ信念の下に動いていた。お金もネットワークもない若者には当然、様々な困難があった。いつも何かが足りなかった。しかしいつも誰かと出会って足りないものを補っていった。解決と発展をもたらすのは、決まって新たに出てくる人間だった。
・今でも利益という利益が上がらないような体制で続いている。印税の取り分を上げることは容易だし、ブランドを毀損するおそれもほぼ考えられないが、それもしていないようだ。
・なかったものが生まれて、何かが残る。シンプルだけど生命活動そのもの。
・12年が経ち干支が戻っている。
・当時際立っていたのは、堀江貴文さん(私たちの12個上)やmixiの笠原さん。いずれも東大の先輩方。彼らに何らかのタイミングで面識を持つことが、当時の学生起業界隈において、現在位置を確認するちょっとした手がかりだった。かもしれない。ブロガーだったはあちゅうさん(1つか2つ歳下)にまだ相方がいた時代。
・今でも純粋に堀江貴文さんのファン。あの時代は堀江さんの12年前だったのか。
・サッカー関連事業についての立ち回りの中で、いわゆる黄金世代(79年生まれ)付近の方々に最近少しだけお世話になっている。別の文脈にいると思われる彼らが、堀江さんの新書『99%の会社はいらない』に言及していたのも印象的。
・05年。友人と二人で茗荷谷のジョナサンで深夜に翌日の試験のための勉強をしていた。既に留学と留年を達成した太った友人がそれを邪魔しに来た。彼が読んでいたデスノート(当時まだ連載中だった)を 取るとSPKという組織が出てきた。あれ、これは我々の団体の略称にならんかね。と気づいたのが自分が残せた唯一のもの。
■砂の城
・吉井和哉さんにハマったのは09年あたり。それ以来、毎年2回程度はライヴを観に行っていた。イエモンは苦手だった。最盛期だった中学高校の時からLUNA SEA派だった。ナポリタンズ(ソロのバックバンドの名前)の演奏を背に歌う吉井和哉さんが好きだった。イエモンの曲もライヴに行けば3曲は聴けた。それでも『砂の塔』『ALRIGHT』を聴いてしまった。全てが詰め込まれていた。やっぱり人なんだな。選び取ったものをつないで生きていきたい。小学生みたいな感想だけど。